皆さんは、神道の始まりを御存じだろうか。神道の最高神、天照大御神は天皇家の始祖と言われています。
古事記では、天照大御神が瓊瓊杵尊に三種の神器を託し、地上に下ろしたと書かれています。しかし、日本書紀も、古事記も、日本の記録ではなく、脚色された物語である事は御存じだろうか。
天照大神のモデルは卑弥呼と言われている。卑弥呼は伝説的な人物のように思われている節もあるが、実在した人物で、所在地に関しては、諸説あるが、九州地方に土着していた人物で、神の声を聞く巫女をしていた人物だ。
当時の巫女は、神の嫁として扱われていた為、人間の男性と交わる事は許されず、神託を人民に伝える時のみ、社の外に出る事を許された。
神道を広めるべく神託を受けた卑弥呼は、自分の血縁者である兄弟の息子に、神の御印である剣、鏡、勾玉を託し、送り出した。
草薙の剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉である。これらは、未だに様々な神社の御神体として使われている。
当時の人々にとって、海を渡るという行為自体が命がけで、それを無事に渡ってきた人物は、神の御使いとしか思えなかったのだろう。
そして、内地に到着してから現在の三重県伊勢市に天照大御神を祀る社を建立し、そこから神道は全国的に広がって現在の形となっている。
神道は経典を持たない。つまり、仏教やキリスト教のように始祖の教えがないのは、始祖が経典を持たせず、神託のみを伝えて、御印だけを持たせて、自身が統率者としての始祖となるように伝えたからである。
ただし、その時から変わらない教えがある。それは共存共栄である。
共に存在し、共に栄える。
自然と共に生き、自然と共に栄える。という事である。
そして、先祖を敬い、始祖たる天照大御神を崇めるという行為だ。そこには、人間に、先祖を大切にし、先祖を敬い、先祖と共に栄えよ。という隠れた教えが存在する。
多くの者たちは、神道には経典は存在しない。と言っている。しかし、古事記や日本書紀の脚色された物語の中に経典が隠されている。
何故、経典が、仏教やキリスト教のように残されなかったのか。それは、女であるがゆえに悟りを開けなかったからだ。
そして、神殿の社の奥に隔離され、そこ以外の世界を知る事が出来ず、自分の世話をする決まった女官との接点しか持てなかったがゆえに起きた悲劇と言えるだろう。
ゆえに、神道は、日本最古の宗教でありながら世界に広がる事もなく、日本国内に留まったと言っても良い。
ある意味、悲劇の宗教と言っても良いだろう。
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